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56話 渦中の人

last update Last Updated: 2025-02-25 08:26:57

 10時半――

「どうもありがとうございました」

イレーネは、マダム・ヴィクトリアの荷物を部屋まで運んでくれた2人の男性店員にお礼を述べる。

彼らはルシアンとリカルドが屋敷を出たのと、入れ替わるように商品を届けに訪れたのだ。

「いいえ。それではこれからもまた当店をご贔屓にお願いいたします」

「いつでもご来店、お待ちしておりますね」

男性店員達は笑顔で挨拶する。

「はい、こちらこそどうぞよろしくお願いいたします」

イレーネも丁寧に挨拶を返すと、店員たちはお辞儀をすると部屋を出て行った。

――パタン

扉が閉ざされ、部屋にひとりになるとイレーネはテーブルの上を見た。

そこには先程届けられた品物が入った箱や紙袋が全部で10個ほど乗っている。

「さて、それでは品物の整理を始めようかしら」

イレーネは腕まくりをすると、すぐに荷物を解き始めた――

****

ボーンボーンボーン

12時を告げる鐘が部屋に鳴り響く頃、ようやくイレーネは荷物整理を終えた。

「ふぅ……すごい量だったわ。こんなに沢山買い物をしたことなど無かったものね。それにしても、時間が経つのは早いのね。もう12時だなんて」

その時――

キュルルルル……

イレーネのお腹から小さな音が鳴る。

「そう言えば、お昼の食事はどうなってるのかしら……? 私は頂くことが出来るのかしら?」

使用人の手伝いを断っているイレーネ。リカルドが不在の時は食事が提供されるのかどうかが不明だった。貴族令嬢ながら、貧しい生活をしていたイレーネは使用人に頼み事をするという考えが念頭に無かったのである。

「お昼を出して下さいとお願いするのは図々しいわよね……かと言って厨房を借りるのもおかしな話かもしれないし……。それなら外食に行きましょう」

幸い、イレーネには前払いしてもらった給金がある。

「早速出かけましょう。ついでに生地屋さんを見てきましょう」

イレーネは外出の準備を始めた――

****

一方、その頃厨房では使用人たちが集まり、揉めていた。

「だから、私がイレーネ様の食事を届けに行くって言ってるでしょう!?」

1人のメイドが金切り声を出す。

「いや! 俺だ! 俺がイレーネ様の食事を届ける!」

フットマンが喚く。

「何言ってるんだ!? お前は今日は薪割りの仕事だっただろう? 俺が行く!」

「そっちこそ、何言ってるのよ! 中庭の掃除、終わってないで
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     2人はソファに向かい合わせに座って話をしていた。ただし、イレーネが一方的に。「……そうそう。そこで出会った猫なのですが、毛がふわふわで頭を撫でて上げるとゴロゴロ喉を鳴らしたのですよ。あまりにも可愛くて、持っていたビスケットを分けてあげようと思ったのです。あ、ちなみにそのクッキーの味はレモン味だったのでしす。子猫にレモンなんて与えても良いのか一瞬迷いましたが、美味しそうに食べていましたわ」「そ、そうか……それは良かったな……」ルシアンは引きつった笑みを浮かべながらイレーネの話をじっと我慢して聞いていた。(いつまでイレーネの話は続くのだ? もう47分も話し続けているじゃないか……。こんなにおしゃべりなタイプだとは思わなかった……)チラリと腕時計を確認しながらルシアンは焦れていた。早く祖父との話を聞きたいのに、いつまで経ってもその話にならない。何度か話を遮ろうとは考えた。しかし、その度にメイド長の言葉が頭の中で木霊する。『自分の話をするのではなく、女性の話を先に聞いて差し上げるのです』という言葉が……。――そのとき。ボーンボーンボーン部屋に17時を告げる振り子時計の音が鳴り響いた。その時になり、初めてイレーネは我に返ったかのようにルシアンに謝罪した。「あ、いけない! 私としたことがルシアン様にお話するのが楽しくて、つい自分のことばかり話してしまいました。大変申し訳ございませんでした」「何? 俺に話をするのが楽しかったのか? それはつまり俺が聞き上手ということで良いのか?」ルシアンの顔に笑みが浮かぶ。「はい、そうですね。生まれて初めて、避暑地でリゾート気分を味わえたので、つい嬉しくて話し込んでしまいました」「そうか、そう思ってもらえたなら光栄だ。では、重要な話に入るその前に……ブリジット嬢とどのような会話をしたのだ?」ルシアンはブリジットとの会話が気になって仕方がなかったのだ。「え? ブリジット様とですか?」首を傾げるイレーネ。「ああ、そうだ。随分彼女と親しそうだったから……な……」そこまで口にしかけ、ルシアンは自分が失態を犯したことに気づいた。『女性同士の会話にあれこれ首を突っ込まれないほうがよろしいかと思います』(そうだ! メイド長にそう言われていたはずなのに……! ついブリジット嬢と交わした会話に首を突っ込もうとしてし

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    「イレーネ……一体どういうことなのだ? 俺よりもブリジット嬢を優先して応接室で話をしているなんて……」ルシアンはペンを握りしめながら、書類を眺めている。勿論、眺めているだけで内容など少しも頭に入ってはいないのだが。「落ち着いて下さい。ブリジット様に嫉妬している気持ちは分かりますが……」リカルドの言葉にルシアンは抗議する。「誰が嫉妬だ? 俺は嫉妬なんかしていない。イレーネが、いやな目に遭わされていないか気になるだけだ。ブリジット嬢は……その、気が強いからな……」「イレーネ様がブリジット様如きにひるまれると思ってらっしゃいますか?」「確かにイレーネは何事にも動じない、強靭な精神力を持っているな……」リカルドの言葉に同意するルシアン。「イレーネ様は良く言えばおおらか、悪く言えば図太い神経をお持ちの方です。その様なお方がブリジット様に負けるはずなどありません」メイド長が胸を張って言い切る。「た、確かにそうだな……」この3人、イレーネとブリジットに少々失礼な物言いをしていることに気づいてはいない。「だいたい、ブリジット様の対応を出来るのはこのお屋敷ではイレーネ様しかいらっしゃらないと思いますよ?」「ええ、私もそう思います、ルシアン様。本当にイレーネ様は頼りになるお方です」メイド長は笑顔で答える。「確かにそうだな……。だが、一体2人でどんな話をしていたのだろう……?」首をひねるルシアンにメイド長が忠告する。「リカルド様、女性同士の会話にあれこれ首を突っ込まれないほうがよろしいかと思います。そして自分の話をするのではなく、女性の話を先に聞いて差し上げるのです。聞き上手な男性は、とにかく女性に好かれます」「え? そうなのか?」「はい、そうです。詮索好きな男性は女性から好ましく思われません。はっきり言って好感度が下がってしまいます。逆に自分の話を良く聞いてくれる男性に女性は惹かれるのです」「わ、分かった……女性同士の会話には首を突っ込まないようにしよう。好感度を下げるわけにはいかないからな。そして女性の話を良く聞くのだな? 心得た」真面目なルシアンはメイド長の言葉をそのまんま真に受ける。イレーネとの関係が契約で結ばれているので、好感度など関係ないことをすっかり忘れているのであった。「では、私はこの辺で失礼致します。まだ仕事が残っておりま

  • はじめまして、期間限定のお飾り妻です   97話 ブリジットからの誘い

     イレーネとブリジットは2人でお茶を飲みながら応接室で話をしていた。「それにしても絵葉書を貰った時には驚いたわ。まさかルシアン様のお祖父様が暮らしているお城に滞在していたなんて」「驚かせて申し訳ございません。ですが、お友達になって下さいとお願いしておきながら自分の今居る滞在先をお伝えしておかないのは失礼かと思いましたので」ニコニコしながら答えるイレーネ。「ま、まぁそこまで丁寧に挨拶されるとは思わなかったわ。あなたって意外と礼儀正しいのね。それで? 『ヴァルト』は楽しかったのかしら?」「ええ、とても楽しかったです。とても自然が美しい場所ですし、情緒ある町並みも素敵でした。おしゃれな喫茶店も多く、是非ブリジット様とご一緒してみたいと思いました」「あら? 私のことを思い出してくれたのね?」ブリジットはまんざらでもなさそうに笑みを浮かべる。「ええ、勿論です。何しろブリジット様は素敵な洋品店に連れて行っていただいた恩人ですから」「そ、そうかしら? あなったて中々人を見る目があるわね。今日ここへ来たのは他でもないわ。実は偶然にもオペラのチケットが3枚手に入ったのよ。開催日は3か月後なのだけど、世界的に有名な歌姫が出演しているのよ。彼女の登場するオペラは大人気で半年先までチケットが手に入らないと言われているくらいなの」ブリジットがテーブルの上にチケットを置いた。「まぁ! オペラですか!? 凄いですわね! チケット拝見させていただいてもよろしいですか?」片田舎育ち、ましてや貧しい暮らしをしていたイレーネは当然オペラなど鑑賞したことはない。「ええ、いいわよ」「では失礼いたします」イレーネはチケットを手に取り、まじまじと見つめる。「『令嬢ヴィオレッタと侯爵の秘密』というオペラですか……何だか題名だけでもドキドキしてきますね」「ええ。恋愛要素がたっぷりのオペラなのよ。女性たちに大人気な小説をオペラにしたのだから、滅多なことでは手に入れられない貴重なチケットなの。これも私の家が名家だから手に入ったようなものよ」自慢気に語るブリジット。「流石は名門の御令嬢ですね」イレーネは心底感心する。「ええ、それでなのだけど……イレーネさん、一緒にこのオペラに行かない? 友人のアメリアと3人で。そのために、今日はここへ伺ったのよ」「え? 本当ですか!? ありが

  • はじめまして、期間限定のお飾り妻です   96話 優先事項は

    「一体どういうことなのだ? ブリジット嬢には手紙を出しているのに、俺に手紙をよこさないとは……」「ああ、イレーネさん。イレーネさんにとっては、私たちよりも友情の方が大切なのでしょうか? この私がこんなにも心配しておりますのに……」ルシアンとリカルドは互いにブツブツ呟きあっている。「あ、あの〜……それでブリジット様はいかが致しましょうか? イレーネ様は今どうなっているのだと尋ねられて、強引に上がり込んでしまっているのですけど……やむを得ず、今応接室でお待ちいただいております」オロオロしながらフットマンが状況を告げる。「何ですって! 屋敷にあげてしまったのですか!?」「何故彼女をあげてしまうんだ!!」リカルドとルシアンの両方から責められるフットマン。「そ、そんなこと仰られても、私の一存でブリジット様を追い返せるはず無いではありませんか! あの方は由緒正しい伯爵家の御令嬢なのですよ!?」半分涙目になり、弁明に走るフットマン。「むぅ……言われてみれば当然だな……よし、こうなったら仕方がない。リカルド、お前がブリジット嬢の対応にあたれ」「ええ!? 何故私が!? いやですよ!」首をブンブン振るリカルド。「即答するな! 少しくらい躊躇したらどうなのだ!?」「勘弁してくださいよ。私だってブリジット様が苦手なのですよ!?」「とにかく、我々ではブリジット様は手に負えません。メイドたちも困り果てております。ルシアン様かリカルド様を出すように言っておられるのですよ!」言い合う2人に、オロオロするフットマン。「「う……」」ブリジットに名指しされたと聞かされ、ルシアンとリカルドは同時に呻く。「リカルド……」ルシアンは恨めしそうな目でリカルドを見る。「仕方ありませんね……分かりました。私が対応を……」リカルドが言いかけたとき――「ルシアン様! ご報告があります!!」突然、メイド長が開け放たれた書斎に慌てた様子で飛び込んできた。「今度は何だ? 揉め事なら、もう勘弁してくれ。ただでさえ頭を悩ませているのに」頭を抱えながらメイド長に尋ねるルシアン。「いいえ、揉め事なのではありません。お喜び下さい! イレーネ様がお戻りになられたのですよ!」「何だって! イレーネが!?」ルシアンが席を立つ。「本当ですか!?」リカルドの顔には笑みが浮かぶ。「

  • はじめまして、期間限定のお飾り妻です   95話 寂しがる人、待つ人々

     ゲオルグがマイスター伯爵に怒鳴られ、逃げるように城を去っていった翌日――イレーネは馬車の前に立っていた。「……本当にもう帰ってしまうのか? 寂しくなるのぉ……」外までイレーネを見送りに出ていた伯爵が残念そうにしている。「そう仰っていただけるなんて嬉しいです。けれど、お城の見学も十分させていただきましたし何よりルシアン様が待っているでしょうから。恐らく今頃私のことを心配していると思うのです」(きっとルシアン様は私が伯爵様と良い関係を築けているか心配しているはず。ゲオルグ様と伯爵様の会話の内容も報告しないと)イレーネは使命感に燃えていた。しかし、内情を知らないマイスター伯爵は彼女の本当の胸の内を知らない。「なるほど、そうか。2人の関係は良好ということの証だな。ルシアンもきっと、今頃イレーネ嬢の不在で寂しく思っているに違いない。なら、早く顔を見せてあげることだな」「はい。早くルシアン様の元に戻って、安心させてあげたいのです」勿論、これはイレーネの本心。何しろ、ルシアンを次期当主にさせる為の契約を結んでいるのだから。「何と! そこまで2人は思い合っていたのか……これは引き止めて悪いことをしたかな? だが、この様子なら安心だ。ルシアンもようやく目が覚めたのだろう。どうかこれからもルシアンのことをよろしく頼む」伯爵は笑顔でイレーネの肩をポンポンと叩く。「ええ、お任せ下さい。伯爵様。自分の役割は心得ておりますので。それではそろそろ失礼いたしますね」イレーネは丁寧に挨拶すると、伯爵に見送られて城を後にした――****一方その頃「デリア」では――「……またか……」手紙の束を前に、ルシアンがため息をつく。「また、イレーネさんからのお手紙を探しておられたのですか? ルシアン様」紅茶を淹れていたリカルドが声をかける。「い、いや! 違うぞ! と、取引先の会社からの報告書を探していたところだ!」バサバサと手紙の束を片付けるルシアン。その様子を見たリカルドが肩をすくめる。「全くルシアン様は素直になれない方ですね。正直にイレーネさんの手紙を待っていると仰っしゃればよいではありませんか? ……本当に、何故伯爵様はイレーネさんのことを教えてくださらないのでしょう……」その言葉にルシアンは反応する。「リカルド、お前まさかまた……祖父に電話を入れたのか?

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